どうしてクリスマスには
イルミネーションを飾るのか

光をつくった神

聖書の中で、神が最初に口にしたとされる言葉は「光あれ」です。神がそう言った瞬間、光そのものが創造されました。その後、神は宇宙をつくり、地球とそこに憩うすべてのものをつくり、人間が生きるのに最もすばらしい場所に完成させました。そして最後に、神自身と愛ある関係を築くべく人間をつくりました。

闇とは混ざり合えない光

必然的に、神という創造主は、その創造物である私たち人間とはまったく異なる存在です。そんな神の性質をわかりやすく理解できるように、聖書では時々神を「光」に例えています。光と闇が混ざり合うことができないのと同じように、神の完璧な義と愛は、他のどんな悪や不完全性とも混ざり合うことができません。

光を必要とする人間

しかし人は、神につくられた後、神の教えに背き、罪の性質を生まれながらに持つ存在となりました。自らを他者よりも、また自分たちの創造主である神よりも優先し、大事にするようになりました。それが嘘、自己中心性、そして苦々しさの始まりとなり、今の世の中にはびこるあらゆる罪や悪という闇の始まりとなったのです。私たち一人一人の罪は、本当に多くの痛みと破壊をもたらします。それは私たち自身や周りの人々を傷つけるだけでなく、私たちと神との間の障壁にもなります。つまり、上記にあった光と闇とが混ざり合えないのと同じなのです。闇はそれ自体が光へと変化することはできません。よって私たちも、罪という闇から逃れ解放されるためには、光という根源が必要なのです。

クリスマス = 神の解決策

クリスマスはそもそも、罪の問題に対する神の解決策なのです。2千年強前に、神は自らの息子イエス・キリストを、人としてこの地に送りました。聖書では彼を「世の光」と表現しています。イエス・キリストは私たちの罪を身代わりに背負い、神との別離の苦しみを私たちの代わりに受けたのです。一切の汚れのない神の息子である自分だけが、人の罪を赦すことができることを諭しました。そして彼が私たちの人生を導くことにより、この罪の性質を一変し、「光」という存在へと変えてくれることを説いたのです。そして最終的に、このまま罪の性質という闇の中に留まり続けるか、あるいは光としての神について行くか、その選択を彼は私たち一人一人に託しました。イエス・キリストは結果的に自分が救おうとした罪深い人間たち自身に殺されました。しかし、神は彼を再び甦らせ、今も彼に従う者たちのための「光」として生き続けています。

イルミネーションが物語る「選択」

クリスマスとは、世の光であるイエス・キリストがこの世に生まれ、彼に従う者たちのために罪からの解放をもたらしてくれたことを祝う時なのです。ですから、クリスマスに飾るキラキラ輝くイルミネーションは、世界中の多くの人々の人生を大きく変えた「光」の存在を象徴しているのです。クリスマスのシーズンにイルミネーションを見る時、この世に来てくれた「光」の存在と、罪の闇から抜け出す選択があなた自身の目の前に置かれていることを、ぜひ思い出してください。

神が私たちを罪から救い出すために立ててくれた計画について、詳しくはこちらへ。

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