想像してみよう……凍った湖のほとりにいると。
足にはスケート靴を履いている。美しく照り輝く広い湖を思いっきり滑ってみたい。自由に飛び回ってみたい。でも、不安になってしまう。「氷はどれくらいの厚さだろう?安全だろうか? 自分の体重でも大丈夫か? 割れてしまうかもしれない。」不安が心をよぎり、湖のほとりで、寒さのなか、氷を眺める。
しばらくたって、片足を伸ばしてみる。氷の厚さを確かめながら。次に、そっと湖の上に立ってみる。少し歩いて、表面をトントンと踏んでみる。そして、氷の上をなめらかに滑り、微笑む。ついに思いっきり滑って、新鮮な空気を吸い込み、笑う。
これは、二つの生き方を表している。一つは、寒さの中、疑いと不安を抱く人生。素晴らしいものを見逃してしまう。もう一つは、疑いから自由になって、翼を広げて天空の広がりを舞う人生。
私たち一人ひとりにとって、最も大切なことは、「神をどうみるかだ」と言われている。私たちは、神を考えるとき、疑いと恐れを持ち、遠い存在として考えるだろうか? それとも、信頼と開かれた心で考えるだろうか?
今まであなたは、神についてほとんど考えたことがないかもしれない。しかし、もし神が存在され、良いお方であるなら、素晴らしいことではないだろうか? そして、あなたが何も心配しなくて良いなら、すごいことじゃない? 人生でどんなことが起きても、最後には、それが良いこと、素晴らしいことになるとわかっていたら。
神が、すべてのことを最善にしてくださるとしたら、どうだろう? 神が、最悪のことを最善に変える力があるとしたら? そして神が、あなたの味方であるということに、気づき始めたら、どうなる?
今、この神を知ることができたら? ただ理解するだけではなく、友達や恋人以上に神を深く知ることができたら、どう?
あなたが神のものとなり、神があなたのものになるなら? そうなりたいと思う?
今まで歩んできた人生よりも、もっともっと素晴らしいものがあるのではないかと、心と思いを開いてみないか? それとも、人生はこんなものだと諦めて、湖のほとりに立っている?
ここで質問……
心を開いて、一歩踏み出しますか?もしそうしたいなら、それはいつ?
今、踏み出すのはどうですか?
留まっているのはやめましょう。誰かに話して、あなたがずっと欲しかったもの、これまでの日々を越えた意義ある人生、広くて自由な人生、神様と歩む人生を、共に見つけに行きましょう。
日々の生活以上の人生、広く、自由に舞う、冒険を始めませんか?
私たちはプロテスタントの伝道を目的とするクリスチャンボランティアであり、聖書を神様の言葉として信じています。統一教会、エホバの証人、モルモン教等とは一切関係ありません。